消えゆくもの

川崎のJFEの高炉の火が昨日で消えたそうだ。

元の「日本鋼管」の製鉄所だ。最盛期には7基の溶鉱炉があったという。

昭和の4大工業地帯「京浜工業地帯」の中心的存在だった。

日本の「黄金の日々」を担った京浜、阪神、中京、北九州の4大工業地帯。

よく社会の試験に問題で出たものだ。

中学生時代、新子安の高台の母校・浅野中学から川崎・鶴見方向を見下ろすと、

数知れぬ工場の煙突からモクモクと煙が立ち昇って空を覆い、色々な匂いが混ざった風が流れてきたのを記憶している。

公害問題も深刻だったが、高度成長で世界へ攻め込む日本の活力の象徴の姿のようで、なにか誇らしく感じたものだった。

父親が商社の製鋼原料部長だったので、日本鋼管とは深い関係にあったようで、日常的に「鋼管、鋼管・・」という言葉を聞いていた。

最後の高炉の廃止は、「京浜工業地帯」の終焉、つまり、日本の昭和の活力の終焉を感じ、えも言われぬ寂しい気持ちに襲われる。

「ものづくり」で発展した日本が、このまま終わってしまわなければいいのだが・・。

孫たちの時代のために、いまできること、すべきことは何だろうか?